”死にたい。”と言われて、訪問介護の現場で感じたこと。

”死にたい。”と言われて、訪問介護の現場で感じたこと。

介護業界は、在宅介護時代と言われている。

法律も、地域密着の在宅サービスを支援する流れに動いている

そこで、訪問介護事業所で実際の業務を体験してきた。

その中で体験したことを、まとめてみたいと思う

 

そもそも訪問介護とは

訪問介護は、利用者が可能な限り自宅で自立した日常生活を送ることができるよう、

訪問介護員(ホームヘルパー)が利用者の自宅を訪問し、

食事・排泄・入浴などの介護(身体介護)や、

掃除・洗濯・買い物・調理などの生活の支援(生活援助)をします。

通院などを目的とした乗車・移送・降車の介助サービスを提供する事業所もあります。

(※引用:http://www.kaigokensaku.jp/publish/group2.html)

 

訪問介護で感じたこと:1軒目(認知症)

認知症の親子と、要介護度3を超えるおばあちゃんの訪問に行ってきた。

移動は事業所からチャリで行う。30分ほどチャリを漕ぎ

訪問先のおばあちゃんのとこにむかった。

1軒目は認知症のおばあちゃん。2分前に話したことも、覚えれないそうだ。

僕は、ピンポンを押し、ドキドキしながら、おばあちゃんが出てくるのを待つ。

扉があき、中に入る。僕は、簡単な自己紹介から始める。

”25歳の・・・。”おそらく10回くらい答えたのではないか。

おばちゃんは、アルツハイマーだけれど、とても気立てのいい可愛い。

おばあちゃんに”こんな二枚目なら、素敵な彼女もいるのよね?独り身?”なんて何回も言われると

嬉しくなってくる。笑

僕はおばあちゃんと話しているうちに、”なにかできることないかなー。”なんて思っていた。

会話がおわったら、薬をのんでもらって、次へと向かう。

 

 

訪問介護で感じたこと:2軒目(要介護度3)

次は、先ほどより、だいぶ重度の患者さん。

要介護度3以上の、ほとんど寝たきりに近いおばあちゃん。

食事や、おむつの切り替え、(※ぼくは男性なので、一旦退出)を行う。

すると、介護されながら、おばあちゃんが涙を流していた。

”痛い。。。死にたい。。。”

心にぐさっとっささった。なんとも言えない気持ちになった。

”あー無力だな。”改めて己の無力さを突きつけられる。

なにもできない。

僕らが抽象化して、統合化して、世の中に必要だぜ!いいことしてるぜ。って

サービスを提供していた先にいたのは、

紛れもない、なまみの人間なのだ。そのことを忘れていた。

僕らは、なんのためにサービス提供を行っているのか。

そこにいる人を、支えているのか。成し遂げたい世界は、どんな世界だったのか

もう一度考え直す必要があると感じた。

この仕事を初めて、初めて胸が締め付けられた。

 

現場で感じた問題点

今日の経験から感じたことがある。

生きていくには、自分の役割が必要だ。役割がなければ、死ぬことすら人間は欲する。

今の日本には、高齢者が、社会の役割をもって生きる仕組みもなければ、

それを支える人も十分にいない。

おじいちゃんと、おばあちゃんが、現存する社会と共存するコミュニティーがない。

もっと、おじいちゃん、おばあちゃんに、役割があってもいいのではないか。

90歳になっても元気な高齢者はいるのだから。

次回は、ぼくが抱いた今回の問題式から、

たどりついた理想のリタイアメントコミュニティについてお伝えしたいと思う。

 

 

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