土曜日の夜は1週間で一番すき。金曜日のようなの気持ちの高揚もなければ、日曜日のような寂しさもない。土曜日の夜はおちついていて、ちょびっとだけいつもより自由になれるから。
サラリーマン3年目にもなると金曜日が嬉しいと思うことも、日曜日が悲しいと思うこともある。これはサラリーマンやってんなーと思った瞬間の1つだ。
ところが、最近ある人に出会った。月・火・水・木・金・土・日曜日関係なく働いている人だ。僕の心は動かされる。
当たり前になっていた日常
8:00-18:00まで働く。成果のためにコミットする。自分のスキルを伸ばして事業を作れるようになっていく。社会貢献のためという会社のビジョンを唄いながら、自分の力を伸ばすこと。事業をつくれるようになることにコミットしている。
それでも頑張れる。自分の力がのばせるから。もっと世の中への価値提供ができるようになるから。けど、ずっと心のどこかに抱えていた。何かが違う。
ちょっとした違和感が心の中にずっとあった。
ワクワクさん
そんなスキルの向上ばかりしていた僕は、太陽の化身みたいな人に出会った。発言から、心から楽しんでいるのが伝わってくる、こだわりが伝わってくる。いいもの作りたいんだこの人。ひしひし想いが伝わる。一緒にいるだけでこっちまでワクワクさせられる。
”あー生きてんな、この人。”って思った。自分の思いを実現するために、いっぱいしんどいことも乗り越えている。
かっこいいなと思った。僕の心も動かされる。”俺もかっこよくいきたいな。もっと素直に伝えたいな”心の中で抑えていた感情が溢れ出す。
サラリーマン抜け出そうとすると…
サラリーマンしていると、”そんなの無理だよ”、”君にはまだはやい”、”自己認識ただそうよ”限界を勝手に決めつけて来る人がいる。
能力の限界を決めつけて会社のいいように能力を定義して、その能力を必死につけていく。いつか陳腐化していくかもしれない能力だ。スキルはスキルが故に、陳腐化する
土曜日のレイトショー
書きながらまだ違和感の正体はわからない。けどなんとなくわかるようなきがして、手が届かない。なんだろうこの違和感は。話はもどるが、土曜日の夜ということで、久しぶりに一人で映画に行ってきた。
B級映画が無性に見たい気分だった。だから邦画で、そんな映画ないかなーという気分で決めたのが、”ミックス”。卓球映画だ。結論よかった。
気に入ったシーン
くっそかっこよかったのが、”一生懸命やってるやつをバカにすんなよ”ってシーン。かっこよかった。
みんながみんな器用に生きていけるわけじゃない。一生懸命もがいたって失敗してばっかで、なかなかうまくいかないことが多くて、たまに自分のこと嫌になって、もうだめだってなって、それでも諦めたくないから頑張って必死になって。そんなことがある。
けど諦めれない。だから、”勝負する前からやめんのか?”ってとこで、勝負に行った。いえす。勝負しよう!
違和感の正体
実際にやってみることです。(模擬でなく)実際の問題を解決するために努力することです。
その過程で、一体何を学んだらいいかがわかります。非常にたくさんの人たちが、何年も大学や大学院で時間を使っています。
サイエンスのビギナーになるために、まずすべてを学ばなければならないと思うからですが、それは間違いです。
実際の問題に挑戦すべきです。そうすれば、学ばなければならないことはそれほど多くないと気づくはずです。
与えられた課題を必死にとくのもいいんだと思う。けど自分で課題を設定したら没頭しやすい。これは自分で遊戯王カードみたいなの小学校の時に作ったりした時や、数学の公式壊したいとか。
世の中の減少を物理学で表現して見たいと思ってた高校時代。りほのために頑張りたいって思っていた大学1年生とか。宇宙にとっていいことしたいって思っていた大学2年生。現実的にスキルをつけて実行を伴いたいと思った3年生。ちょっぴしうちのめされた4年生。
けどいつだって挑戦してきたんだ。自分で無理かもしれないけど、やってみたいって気持ちに素直に。だから、やってみて何が必要か、その時に必要なことを学んでいったらいいじゃないか。
最後に
奇跡は起こらない。相応しい人に相応しいことが起きるだけだ。それ相応の努力を正しい場所で行っていくんだ。
自分にとって正しい場所とは、自分でテーマを設定した場所。想いをかけれる場所。自分が応援したい仲間がいること。そこでうまくいくかわらかないけど、没頭するんだ。
それができるだけで幸せを感じる。誰かのために一生懸命になれているだけで幸せを感じれるから。
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